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東京地方裁判所 昭和46年(わ)385号 判決 1972年2月17日

主文

一、被告人を禁錮七月に処する。

二、訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  酒気を帯び(呼気一リットルにつき0.5ミリグラム以上のアールコールを身体に保有)、アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態で、昭和四五年一〇月六日午前零時四五分ころ、東京都杉並区上荻三丁目二〇番地先道路において、普通乗用自動車を運転し

第二  昭和四三年七月一日普通第一種免許を取得し、反覆継続的に自動車を運転している者であるが、前記第一の昭和四五年一〇月六日午前零時四〇分ころ、同区上荻三丁目八番地市川駐車場において、酒の酔いのため注意力が散漫となり、到底正常な運転を期し難い状況であつたから、自動車の運転を厳に差し控えるべき業務上の注意義務があつたのにこれを怠り、前記普通乗用自動車を運転し、右市川駐車場から道路(歩車道の区別のない幅員約七メートルのアスファルト舗装道路)に出て宮前三丁目方面から青梅街道方面に向かい進行した過失により、前記第一の番地先道路にさしかかつた際、酒の酔いのためハンドル・ブレーキの操作を誤つて自車を道路右側部分に進出させて、おりから対面進行してきた清水三郎(当時二八年)運転の普通乗用自動車(タクシー)に正面衝突させ、よつて、同人に通院加療約三週間を要する外傷性頸部症候群、右頭頂部挫傷、頸部外傷の、同車の乗客飯島信也(当時三五年)に通院加療約二か月間を要する頸椎捻挫、右膝内側に副靱帯損傷の、各傷害を負わせ

たものである。

(証拠の標目)<略>

(弁護人の心神喪失ないし心神耗弱の主張に対する判断)

一、弁護人の主張

1  被告人は、高校時代病気療養し、現在も痩身で体力がなく、酒にも弱いため深酔すると嘔吐したり倒れて意識を失い寝込んでしまうことがたびたびあつた。

2  勤務先が開店準備、開店セールで連日忙しく特に事故前々日には、平常店舗へ組み変えのため、重労働と超過勤務をし、事故前日久し振りに休暇をとつたが、いまだ仕事の疲労もいやしていないのに、ローラースケートをして疲労を重ねた。

3  以上の精神的・肉体的疲労のうえで自宅附近のスナックで、ウイスキーの杯を重ね、前後不覚におちいり、急性アルコール中毒症状を呈し、本件各犯行当時泥酔のため心神喪失ないしは心神耗弱の状態にあつたものである。

二、当裁判所の判断

前掲各証拠ならびに証人鈴木正義、同中原重光、同渡辺紀代子、同鈴木勝喜、同山内孝夫の当公判廷における各供述、司法巡査鈴木勝喜作成の昭和四五年一一月一〇日付実況見分調書、自費患者病床日誌を総合すると、

1  被告人の勤務する西友ストアー阿佐谷店では昭和四五年一〇月二日から四日まで開店セールが行なわれ、四日の晩には閉店後平常セールになおすべく売場陳列台を移動する作業が行なわれ、被告人もその間商品の運搬、陳列、陳列台の移動等の仕事に従事し平常よりも体力を消耗し疲労した。翌五日の日には休暇をとり午後一二時半ころまで寝ていたが、午後二時ころ荻窪駅で友人の石川晴久とおちあい、後楽園まで行つて約一時間ローラースケートをして遊び、再び荻窪にかえつてパチンコ遊びをし、午後九時すぎころ同人とわかれた。その後の午後九時三〇分ころ被告人一人で東京都杉並区桃井一丁目二番五号のスナック「すずき」に行き飲酒した後翌六日午前零時ころ自宅に帰つた。その後家から自動車の鍵を持ち出し、自宅前の市川駐車場に行き自己の本件自動車を運転して道路に出、約一七〇メートル位走行して本件事故を発生させた。

2  被告人は、右スナック「すずき」に約八年位前から通つていたが、酒量はハイニッカウイスキーをオンザロック(シングル)にしてファッショングラスで普通二、三杯多くて四杯位で、静かにちびりちびりと時間をかけて飲むタイプであり、四杯位飲んだ時でも顔が赤くなる程度で、言動が乱れるかとか、暴れるとか、寝込むとか、酔つたから休ませてもらいたいといつたようなことや、ひどく酔つて異常な言動に出たというようなことはなかつた。

3  右スナック「すずき」は青梅街道に面し、同所より被告人宅までは直線距離にして約五〇〇メートル位であり、その間深夜でも交通量のある青梅街道を横断する必要があり、二個所ある信号機付の横断歩道で信号に従つて標断するほか、また横断歩道でないところを横断したり、信号を無視して横断するにあたつては相当程度注意を払い車との安全を確認して横断しなければ危険な状況にある。

4  本件自動車は、被告人宅の向い側にある市川駐車場に数日前から入れてあつたものであるが、被告人は家から自動車の鍵を持ち出し、二〇台収容し得る右駐車場に行つて、自分の車が置いてある場所に行き、自から自動車を始動させた。通常の操作としては、運転席のドアにドアキーを差し込みドアを開け、運転席に座り、エンジンキーを差し込んでエンジンを始動させ、前照灯を点灯し、サイドブレーキを戻し、チェンジレバーをローに入れ、アクセルペダルを踏みながら踏み込んだクラッチペダルを徐々にゆるめて発進するわけである。そして、被告人は右市川駐車場から右折して道路に出て約一〇〇メートル位進行して一時停止標識のある交差点でいわゆるエンストをおこした後再び発進し、約七〇メートル位行つたところで本件事故を起した。

5  事故後の警察官の簡単な事情聴取の際および荻窪病院に入院した際、被告人に泥酔状態や、深酔のための異常な行動はみられなかつた。酒酔鑑識カードの検知結果によると、化学判定は呼気一リットルにつき0.5ミリグラムのアルコールを身体に保有する程度で質問応答状況、見分状況等よりしても通常の酒酔者と著るしく異なるような言動はみられなかつた。

以上を総合すると、本件各犯行当時、被告人が心神喪失および心神耗弱の状態になかつたことが明らかである。

なお、被告人は、事故直後や検知の際、警察官の「なぜ飲酒運転をしたのか。」との質問に「私が運転した?」と反問し、また事故の状況につき記憶していないというのであるが、交通事故においては、酒酔の状態にない自動車運転者や被害者が事故による頭部打撲等により追想に障害を起し健忘がみられることはすくなくないこと、被告人は昭和三七年五月より同三九年七月まで肺結核症ならびに頸部リンパ節結核で通院加療し、治ゆしていて、現在でも強靱な体力の持主とまではいえないにしても以上1ないし5の認定事実よりして右結論を左右するものではない。(法令の適用)<略>

(量刑事情)

被告人にはこれまで前科前歴はないこと、被害者との間に示談が成立していること、改峻の情を示していること等は量刑上被告人のためしんしやくするが、心神喪失・耗弱程度にまではいたらないにしてもかなり酒に酔いながら本件自動車を運転したもので酒酔の程度、運転不開始義務違反という過失の内容、対向車と正面衝突をした事故の態様等からして危険性の極めて高い運転であつたこと等を総合すると、被告人の運転に対する態度は厳しく非難さるべきであり、本件についてはいまだ刑の執行を猶予し得る事案ではなく求刑禁錮一〇月に対し、禁錮七月に処することはやむを得ないと認める。

(朝岡智幸)

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